相変わらず続くセブンカフェの話題
デビューしてかれこれ1年ぐらい経ちますか?
セブンカフェなネタ相変わらず席巻してますね。
今日もまたタイムラインにこのんなまとめ記事が流れてきました。
【デザイナー完全敗北】セブンカフェのコーヒーメーカーが残念と話題 - NAVER まとめ
そこで、今更ながら、感じる見解を書いてみようと思います。
論点の問題ではあるけど...。
これは完全にセブンイレブンという企業や可士和氏の意図通りだと私は思います。
敗北的なニュアンスで方々で言われているようですが、むしろこれは「完勝」なのだと私は感じています。
「何もないことが一番恐いわけです。」
先日、いろいろと学ばせていただいている大先生から、新しい取り組みに対して、こんな話をしていただきました。
” 意見が出るくらいのアクションが起こせたわけで、何もないことが一番恐いわけです。 ”
こんな、すばらしい話をお聞きしました。 その時すぐに脳裏に浮かんだのがこのマシンでした。
まさに企業の内側からデザインをし直すという可士和氏の考え方が踏襲されているからこそ、こうやって、皆がテプラを貼り、使いにくいと騒ぐのだと思います。
当たり前の概念を我々が切り替えれていないだけ
総じてそれは、思想やポリシーへの理解という観点で、 ユーザーのリテラシが追いついていないと言うことなのでは無いかと私は感じています。
実際にセブンの鈴木社長は「常に変わる」ということを当たり前とする方だという話は色んなメディアで良く見聞きします。
そうやって、トレンドやいわゆる「最先端」を生み出しているわけであり、それを佐藤可士和という人が整理整頓しているのだと考えるべきなのかなと私は思っています。
言う側は完全にデザインの動きの中に当てはめられているのではないか
テプラを貼り、使いにくいと騒ぐ我々のほうが、ある意味及ばぬリテラシや思想のレベルのままであると言うことを露呈しているのかも知れません。
結果は出ている。我々は盛大に乗せられている。
結果として、そんなに使いにくいと言われるマシンでなぜ、何億という売上げをたたき出しているのでしょう? そして、コンビニの珈琲という新たな常識を創りあげたのでしょう?
さらに言えば、結果が不振ならどんな商品でも2週間で棚から消えると言われているセブンイレブンにおいて何故残っているのでしょう?
様々な観点から見ても、こうやって「話題になる」と言うこと自体が、ある意味狙いとされた企業デザインだったのかも知れないと私は感じています。
広告
PR:セブンネットショッピング